深部310km地点

変に明るく、変に暗い

17.葬式part1

 先輩が死んだ。この旨のメッセージを受け取った時、何か身内での冗談が外部に漏れ出たのだと解釈し、くすりと笑ってしまった。この人たちは仲が良いなあと思ったりもした。数十秒後に続けて届いた通夜のスケジュールを見て、ようやく冗談ではなく事実だと認識した。私は当時、身の周りにいた関わったことのある人間が亡くなるという経験をしたことが無かった。人の死を冗談だと思っていた。正直今でも少し思う。人間はいずれ死ぬし、その時がいつ来るかもわからないことは分かっていた。だからかもしれない。予測不可能で修正不可能な事象は、目の前に現れたその瞬間に受け入れるしかない。しかし、それに対する受容には幾らかのエネルギーが必要であり、人によっては見なかったものにしたり、反発したりする。私の場合は、受容する前に、一旦冗談として仮の受容を経る必要があるというだけだ。ところで、私は身近な人間の通夜は初体験だ。酒が弱い身がお洒落で高級なバーに行くことになったくらいの心持ちだ。現場で出来る限り体験したいし、雰囲気も余すことなく目に焼き付けておきたい。何しろ滅多に行く機会のない場だからだ。ドレスコードはもちろん喪服だ。しかし、人が死ぬことに対して用意周到であるわけでもなく、結局既に所持していた黒のスーツで参加することにした。非常に心残りだ。場をわきまえた適当な服装は礼儀の一つだと考えており、黒スーツであっても、私は無礼な人間だと感じた。

会場に着いた。同期や先輩、後輩はすでに到着しており、ロビーの一か所に集まっていた。故人の関係者も大勢来ており、ロビーは黒ずくめだ。葬儀屋の方々は、悲しみに包まれる参加者の邪魔にならないような接待をする。声色は控えめで、笑顔の代わりに凛々しさがある。この慎ましさの格好良さよ。見習いたい。実際、式の次の日に入っていたアルバイトで図らずも参考にしてしまっており、自分の姿に内心笑っていた。変にしんみりしたコンビニ店員が爆誕した。式が始まり、喪主や関係者によるスピーチが始まった。周りで鼻をすする音がそこかしこで聞こえたので、私も鼻をすすってみたりした。この冗談めいた行動を見よ。まだ先輩の死を仮受容している段階だと分かる。式でのBGMは、ポップスのピアノアレンジで、生演奏だった。以降しばらく、私はここで聴いたポップスを街で耳にするたび先輩の死を思い出すようになった。呪いだ。

式が終わり、棺桶に花を手向ける時間が来た。この時、初めて故人、いや正確には人間の遺体を始めて見ることとなった。肌の色は悪く、当然動く気配もない。蝋人形のようだった。私は目の前にあるこの物体が動いている様子が記憶として確かにあり、会話したことも触れられたこともある。そう考えるとよくわからない気分になった。マイナスもプラスもない、プラマイゼロの感情だ。認識できないほどの色々な感情が相殺した結果なのかもしれない。気づくと、私は私の事を好ましく思っていないであろう先輩の一人に怪訝な顔で見られていたため、棺桶から離れることにした。

二日目はよく分からず参加したが、特筆すべきことはなく、記憶にない。確か出棺であったか。出棺時のサイレンが何かに似ていた。船の出港時の汽笛のようなそんな感じだ。人の死に対する自分の感情が未だに分からない。二度と会えなくなり、その人の情報は今後一切更新されない(遺書や生前の作品の発見は例外)が、生前の様子は我々の中に残っており、そこで生き続けている。より親しい人間であれば、これを言っておけば良かったなどの後悔があるかもしれない。推測だが、この後悔は自分が死ぬまで絡みつく気がする。いつか来る相手の死を見据え、伝えておきたいことは伝えておく方が良いのか、しかしこれはあくまで自分が苦しまないための対策ではないか。私の中で、人の死は想像以上に巨大で複雑な感情となるほど固執してしまう事象かもしれない。あるいは、自然の移り変わりの如く人の死それ自体については何も感じていないのかもしれない。一つ分かったことは、人の死によって私の感情メーターはゼロ目盛り付近で数年間微細動することだ。