深部310km地点

変に明るく、変に暗い

18.水棲哺乳綱ヒト科

今日の仕事が終わった。定時とともに足早にずらかる。ここの空気は最悪だ。ドブを啜ったような味がする。私の通勤手段は自家用ミニヘリコプター。身体の大きさギリギリに設計しており、搭乗した重みを感知して自動操縦により自宅へと導かれる。玄関は屋上だ。家に入る前に潜水服を身に着ける。ヘリでの移動中に凝り固まった身体を伸ばすため、ストレッチ。帰宅準備ができたら、玄関前のポールに掴まり、下に降りてゆく。2m程降りると、いつもの水面。やっと家に着いたと実感する瞬間。そのままポールを伝い、ゆっくり潜水。帰宅後は、とりあえずスマホをスピーカーに繋げ、とりあえずTVを付ける。TVの薄ぼんやりした明かりが付く中に流れる、ゆったり、かつデジタルな鋭い音。部屋の隅に住むイソギンチャクが音波につられて動く。TVの内容は気にしない。欲しいのは不規則に変化する光源。10分程したら、夕飯の準備をしよう。食材は専らシーフード。水中で食べるには、他の食べ物はあまりにも不適応だ。スナック菓子は一瞬でしなしな、ふやけて部屋が汚れてしまう。巨大貝やエビの食料としてそれはそれで良いが…。本日は火曜日。サメたちと食事。肉料理。魚料理か。ダイニングテーブルにつき、胸びれに互いに触れ円陣を組み一礼。食事を開始する。サメたちの食事は気が抜けず、食べ物をテーブルから落とそうものならあっという間に部屋がめちゃくちゃになる。またか~となりつつも、密かに片付けを楽しむ自分がいる。私と暮らすサメたちは本来人間を喰らう種類であるが、サメにも思想はあり、彼らは全員人を喰わない主義だ。私による選りすぐりのサメたちだが、過去にファッションとして主義を掲げるサメもいた。あまりにも危険。以来私は、月に2度程の頻度で人間の腕を食卓に出し、挙動を伺っている。もちろん思想が変わる事もある。自分と異なる考えをもつ集団に居続けるのは苦痛だ。私は手土産を渡し、お見送りをする。手土産の中身は人間の手。手だけに。食事が終われば彼らは自由時間だ。世間一般で言う入浴は帰宅と同時に済ませているようなものだ。部屋の隅のワカメが葉を靡かせる。スーパーで購入したが、よくここまで成長した。味付きを買ってしまい、しばらく部屋が美味しくなっていたが。明日はまた仕事か。地上に出なければならぬのか。水中の適度な水圧が私の身体を揉み解し、癒してくれるというのに。地上にはそれがない。身体が緩んでダルダルだ。内臓すら飛び出そうになる。地上が水没すれば、私は生きやすくなるのかも。海面上昇の夢を胸に抱き、私はネムリブカに擬態した。